三日分

 1615年5月3日に徳川秀忠が、5月5日に徳川家康が京を出馬することが決まった。諸軍勢には3日分の腰兵糧を所持させ、小荷駄隊は必要ないとの触れがあった。
「今度の戦いは勝っても負けても3日目には京都に帰る」
 そう言って家康自身も3日分の兵糧しか用意しなかった。(『村越道伴覚書』)

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