保科正貞の奮戦

 天王寺・岡山での最終決戦保科正貞小笠原秀政と言葉を交わすと真っ先に進み出た。しかし戦闘で三ヶ所の傷を負って馬から落ちてしまう。家来達が来て敵を追い払い正貞を肩にかけ逃げようとしたが、また起き上がり敵を槍で刺した。結局、混戦となってしまったため、正貞は首を取る暇もなく家来達に助けられて辛うじて生き延びた。
 その後、徳川幕府の大番頭となった正貞はその戦いの奮戦を自慢したが、組頭の長坂権七郎が「あなたの手傷はこういう雨の日に痛みますか?」と聞く度に赤面している。理由は権七郎は武功の多かった長坂血槍九郎の子にも関わらず、正貞は大坂夏の陣での僅か一回の手柄しかなかったからだという。(『藩翰譜・続武家閑談』)

長坂血槍九郎の墓
愛知県岡崎市大和町沓市場65の妙源寺にある長坂血槍九郎の墓

管理人・・・権七郎が血槍九郎だからというだけではなくて、本人もかなりの戦場を渡り歩いてきたんでしょう。「雨の日に古傷が痛みますか?」ってのはそれだけの怪我をするほどの働きをしてきたか、ってことなんでしょうね。

UPDATE 2012年3月31日
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