安藤重長

(あんどうしげなが)

生没年:1600〜1657年/ 身分:下総小見川2万石の大名の子/ 官位(通称、号):勝蔵

上州高崎安藤家墓所
高野山奥の院にある上州高崎安藤家墓所

 安藤重信の息子。1609年、徳川秀忠に仕える。大坂の陣に従軍し、夏の陣では首級を得た功で伊賀守の官位と上野坂鼻2千石を与えられた。1621年に父が亡くなると遺領の上野高崎5万6千石を継ぐ。
 1624年に西国大名が大坂城の石垣を築く際、秋元泰朝と共に使者として大坂に行き指揮した。1632年、徳川家光の弟・徳川忠長を預かる。1633年に上野惣社に1万石を加増され6万6千石となった。1635年に寺社奉行となる。1657年9月29日死亡。

管理人・・・忠長を預かった際、家光の命を受けた阿部重次が使いとして来て自害させるように伝えましたが、重長は家光の書状がないと断っています。そのため重次は江戸に戻って書状をもらい高崎に行って再び命じました。それを見て納得した重長が忠長を囲っていた竹柵を取り払ったため、忠長は助からないことを悟って自害しています。

参考文献:上野人物志

UPDATE 2013年4月22日
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