浅尾幸次

(あさおゆきつぐ)

生没年:?〜1653年/ 身分:丹羽家の家臣/ 官位(通称、号):数馬介

二本松城
福島県二本松市郭内にある二本松城

 高根重久の長男。重久は佐竹義宣の家臣だったが1602年に出羽久保田に移される時に主家を去った人物。
 幸次は1603年に丹羽長重が常陸古渡の大名となった時に小姓として召抱えられた。大坂の陣で功があり、長重から名前の『重』の字を賜って重常と名乗り、姓も浅見に変えた。1622年に丹羽家が陸奥棚倉に移封される際に家老となり、築城などに関わった。
 1627年に丹羽家が白河に移封されると城下町造りの奉行を務め、1635年には家老首座と領内仕置に任ぜられた。その後の二本松への移封の際には相馬家からの城の受け取りを務め、領内の経営などを行い二本松藩の基礎を築いている。1653年死亡。

管理人・・・二本松家臣の召抱えの人物の考査はほとんど幸次が行っています。大坂の陣の活躍といい、その後の領地経営で力を発揮したことと言い文武両道の名将だったようです。

参考文献三百藩家臣人名事典

UPDATE 2011年11月13日
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