増田長盛

(ましたながもり)

生没年:1545〜1615年/ 身分:高力清長預かりの身/ 官位(通称、号):右衛門尉

【行政の天才】豊臣秀吉に仕え、最初200石を領す。小牧長久手の戦いで戦功を上げ、後に2万石を与えられている。朝鮮出兵では朝鮮半島に渡り、行政・軍務を担当した。1595年に豊臣秀保が死ぬと、その跡を継いで大和郡山24万石の大名となる。この頃、秀吉の命で近江や安房の検地奉行をし、伏見城の普請にも協力している。

増田長盛の墓
埼玉県新座市野火止3−1−1の平林寺にある増田長盛の墓

【五奉行】秀吉が亡くなった後は五奉行の一人として幼い豊臣秀頼を補佐し、増長する徳川家康に対して弾劾状を作成した。1600年に同僚の石田三成が挙兵すると、これに同調し立ち上がる。しかし、その一方で三成挙兵を家康に密通し保身を計ろうとした。関ヶ原の戦いのときには大坂城にいて参戦はしていない。戦後、命は助けられたが所領は没収され高野山に追放。後に武蔵岩槻城主の高力清長に預けられた。

【哀れな死】大坂の陣が起こると家康にスパイとして大坂に入城するように勧められるがこれを拒否。1615年5月27日、息子の盛次が大坂に入城し豊臣軍として戦死したために自害を命じられる。享年71歳。

管理人・・・関ヶ原の戦いでの中途半端な行動のおかげで命こそ助かったものの結局は所領を没収とは、、、。関ヶ原の戦いではこういう風に日和見ってる人達がたくさんいますね。気持ちはものすごく分かりますが。以上、官僚としては非常に優秀だった長盛さんでした。

参考文献戦国人名事典 コンパクト版大坂の役、ほか

UPDATE 2001年8月26日
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