第7章:阿波への二方面作戦(1576〜1579年)

 長宗我部元親が白地城を手中に収めた頃の阿波は、細川持驕i阿波守護だったが、三好長治の父・実休に殺されている)の子・真之が兵を挙げ長治と争っていた。元親はこの状況を利用し細川派に通じて長治を追い詰める。1577年、遂に長治は荒田野の戦いで真之に敗れ殺害されてしまう。
 三好家を長治の弟・十河存保が堺から戻って跡を継ぐが混乱は納まらなかった。元親はこの機に乗じて阿波の海岸沿いと中富川(吉野川)沿いの南北から攻め、1579年には南は牛岐城に、北は岩倉城まで侵攻している。

元親の阿波への侵攻図
阿波への侵攻図
UPDATE 2012年6月11日
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