和議が成立した際、世間の人々は 「豊臣秀頼公は若いので、すべてに関して未練があるようだが、大野治長が忠義を尽くして秀頼公を諌めて和議に応じた。兵書に『約無くして和を請う者は謀なり(表面は穏便な顔をしているが心の中では悪巧みをしていること)』という言葉があるのを知らない浅智恵の愚将だ」 と評した。(『難波戦記』)