帰り道
和議が成立した後、小荷駄隊は船場通りを通って帰るようにと徳川家康が命じた為、そこは見物の群集でごった返した。だが家康自身はそこを避けて城際を直に通り帰ったので、帰路を知る者はまれだった。後日、本多正純が
「感心しました」
と讃えると、家康は
「大坂城に甲斐の者が混じっていたら、この計略はうまくいかなかったはずだ。その場合は大和にでも向かっただろう。そのような理由を知る者がいなかったから成功したのだ」
と答えたという。(『太平雑談』)
UPDATE 2012年6月21日
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