長宗我部氏の立場

 「陣所変え」で、北川宣勝の指揮下に編入されかけた長宗我部盛親だが、これは普通に考えて不自然である。豊臣家上層部はなぜ伊達家の重臣の身分でしかなかった信勝に元土佐の大名・長宗我部家を指揮下に置こうとしたのか?
 これは長宗我部家の立場が豊臣家の中で低かったためだと思われる。高知県歴史民俗資料館の野本亮氏は『歴史読本2001年4月号』の中で『長宗我部元親は四国統一のために一条家を御輿に使ったが、それを織田信長・豊臣秀吉に逆手に取られて一条氏の陪臣という立場として扱われた。その地位は盛親の代になっても変わらなかった』と書かれている。それは大坂の陣の時も変わりなく、“一条家の重臣”だった盛親は“伊達家の重臣”だった信勝の指揮下に編入されかけたのではないだろうか?

管理人・・・盛親は豊臣軍が勝利の暁には土佐一国を約束されていましたが、これは『“長宗我部氏”に土佐を与える』という意味があったのかもしれません。

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