戦う場所

 1615年5月6日の夜、小笠原忠脩井伊直孝の陣屋に行き
「今日の戦い(若江の戦い)での先頭に立っての働き羨ましく思います。私達は後ろにいましたので、心は逸っていましたが空しく時を過ごしました」
 と心中を空かした。
「今日、敵に会わなくても明日には敵に会われるものを」
「いかにもその通りです」
 忠脩はそう言い残して帰ろうとしたが、直孝は引き留めようとした。
「今夜はここでゆっくりとお話しましょう」
「今度の戦いでは父・秀政と共に戦場に出ます。そんな時に他の場所でゆっくりとしているのはどうでしょうか。明日の生死も分かりませんし」
 忠脩は申し出を断ると、別れの盃をして去っていった。翌日、忠脩は天王寺・岡山での最終決戦で討死している。(『武功雑記』)

小笠原秀政・忠脩の墓
長野県松本市里山辺5112の広沢寺にある小笠原秀政・忠脩の墓

管理人・・・穿ちすぎかもしれませんが、直孝は忠脩の覚悟を察しており、明日の先鋒を外された自分の陣所にそのまま留めれば助けることが出来る、と考えて引き留めたとのでしょうか。
 この逸話の中で忠脩は『勝れたる美男の由』だったと書かれていました。

UPDATE 2013年6月16日
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