入れ違い
幕府は大坂冬の陣では小笠原忠脩を出陣させたが、夏の陣では父・秀政を出陣させるつもりだった。しかしその奉書が届く前に忠脩が出陣してしまい、入れ違いで伏見にまで来てしまう。忠脩を迎えた本多正信は
「若いので早とちりをしてしまったのか」
と言うと、徳川家康に取り次いだ。そこで家康は忠脩に会おうとしたが、忠脩は拒否。
「奉書を受け取らず命令に背いて来てしまいました。この上は戦が終わった後にお会いします」
その後忠脩は、天王寺・岡山での最終決戦で討ち死にしている。(『武功雑記』)

長野県松本市里山辺5112の広沢寺にある小笠原秀政・忠脩の墓
UPDATE 2013年7月7日
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