眼力

 1615年5月6日、森忠政は船場口に陣を敷いていた。午前10時頃、森家の家臣・津田次右衛門が空を見て
「みんな、あれを見ろ。道明寺・八尾方面の上の雲が渦巻いており、戦闘によって人や馬の息や土煙が空に昇っている。これは必ず大合戦が起きているはず」
 と叫んだが、誰も相手にしなかった。
 午後4時頃、森軍の陣に使番が戦況を知らせに来た。
「今日、道明寺・八尾方面で合戦があり味方の大勝利だった」
 次右衛門の言ったことに間違いはなかったのだ。だが、素直に評価しない者もいた。
「次右衛門は中途半端なことを口にしたな」
 また、勇む若者達の中には粋がる者もいた。
「攻め口が悪く、無駄に時を過ごしてしまった。道明寺に向かえば討死するか、生き残って飯の種になったのに」
 それを聞いた老練の武士・大塚主繕は若者達を窘めた。
「若者達はいつも『こんな平和な時代はない。何か騒乱でも起きればいいのに』と言っているが、望んだことが起きたら何の段取りもできないまま、このようなことになってしまう。普段の言い方が度を越しているので、今後は有言実行となるように精を出せ」(『森家先代実録』)

森忠政の墓
和歌山県の高野山にある忠政の墓

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