呪い

 大坂の陣が終わった後、板倉勝重のもとに訴えがあった。内容は下記の通りである。
「大坂の陣の折り、大野治長が伊勢神宮の御師(祈祷の事に従う身分の低い神職・社僧)達に内々に申し出があり、徳川軍への調伏を頼みました。そして縁のある禰宜(神主の下、祝(はふり)の上に位する神職)達を大勢集め金を与えました。彼らは人形を作り、両将軍(徳川家康秀忠)を呪いました。これはもってのほかなので早く処罰してください」
 しかし、この訴え家康は一蹴。
「禰宜・山伏の類は人から賄賂を渡されて頼まれれば、そのようなことをするのは珍しいことではない。こちらから金銀を多く渡し、秀頼を呪ってくれと頼めばそのようにするだろう。しかしそのようにすれば天下を治めることはできない。その者たちは命を助け、追い払え」
 と命じたため、禰宜達の命は助かった。(『明良洪範』)

徳川家康の像
駿府城にある徳川家康の像

管理人・・・この話の締めの言葉は「家康公の処置は誠に寛大だと、日本中に伝えて賞した」となっています。

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