因縁

「恩を受けた者やその子などに対してひどい扱いをする者は、その時はたとえ良くても必ず子孫の代に報いが来るものだ。例えば豊臣秀吉が主君の息子・織田信孝を自害させた時、信孝は『昔より主を内海の野間なれば報いを待てや羽柴筑前』と詠んだというのを当時私は耳にした。今度、大坂にて豊臣秀頼が自害したのは5月8日だが、実質、豊臣家が滅亡したのは大坂城が落ちた5月7日。信孝が自害させられたのも同じ5月7日。不思議なことだ」
 徳川家康が大坂城の滅亡を評してそう近臣に話している。(『坂役叢話』)

織田信孝の墓
愛知県美浜町の野間大坊にある織田信孝の墓

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