義士

 明石全登(掃部)天王寺・岡山での最終決戦で戦死したが、実は船で朝鮮半島に渡ったという噂が流れた。その後、全登の家臣・澤原善兵衛が捕らわれ関東に送られて行方を尋ねられた。
「戦いの時は敵に囲まれていたため、生死は分からない」
 善兵衛は答えたが「これは偽証に間違いない」と疑われ過酷な拷問を加えられた。しかし善兵衛は口を閉じて一言も答えなかった。
 すっかり弱った善兵衛は死が近いと悟り
「全登様は朝鮮へは逃げていない。日本国中を鉄の靴で踏み、穴を掘り巣を引っ繰り返して尋ね歩けば見つかるだろう」
 と言ってあざ笑った。これを聞いた徳川秀忠は使いを送って尋ねた。
「なんで早く白状しなかったのだ」
「最初に話しても信用をしてもらえそうになかった。死が近いのであえて一言を残す」
 善兵衛の態度に秀忠は感心。
「善兵衛は誠の義士だ。殺してはならない」
 秀忠は善兵衛を解放し、本国の備前に返している。(『難波戦記』)

伝・明石全登の墓
香美市香北町白石にある伝・明石全登の墓

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