豊臣軍離間作戦
1614年11月25日、藤堂高虎・片桐且元らが徳川家康に進言。
「豊臣軍の中で木村重成・後藤基次(又兵衛)・真田幸村・塙直之(団右衛門)・山縣三郎右衛門などを味方にしたい。誰かこれを伝えるのだ。と諸大将や陪臣、廓山にまで尋ねられているようですが、そうされると秘密がばれるのでいかがでしょうか」
すると家康は密かに語った。
「秘密にならなくてもよい。豊臣軍にこのことが漏れ聞こえたなら名の上がった大将達は自慢にし他人の意見を採用しなくなる。そして良い知らせがあって関東に召されれば良いと思うようになり、前の小田原征伐のように運を両端に掛ける(両天秤に掛けるって意味だと思われる)気持ちも起こるだろう。また上記の者達がどれだけ声がかかろうと大坂を捨て不義の名を後世に伝えようとは思わないだろうが、他人がもしその噂を聞いたなら彼らの言うことを疑い、指揮にも支障がでるだろう。これらのことを思ってのことだ」
(『廓山大坂供奉記』)

静岡駅前にある徳川家康の像
UPDATE 2011年5月31日
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