忠朝の覚悟
大坂冬の陣が起き、本多忠朝は大坂城の東口玉造方面に陣を割り当てられた。しかしそこは沼が深く堀が三重になっており攻めづらい場所だったため、陣所を替えてくれるように徳川家康に直々に頼んだ。家康はしばらくしたあと忠朝を侮蔑した。
「お前の父・忠勝はそんなことは口にしなかった。今の場所が悪いことは良く知っていてお前に申し付けたのだ。変わったことをいうものだ。お前は『男は大きなれども鬼の人食わず』という諺のような者だ」
忠朝は激しい屈辱感を味わう。
「この戦いで必ず討ち死にすると覚悟を決めた」
その言葉通りに夏の陣の天王寺・岡山での最終決戦で討ち死にしている。(『関根織部物語』)
三重県桑名市の桑名城跡にある父・忠勝の像
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