正則、使者を返す

 大坂の陣が起こる直前、豊臣家はあちこちの大名に使いを出した。その一人が安芸広島に来たため、福島家の家臣・林伊兵衛は江戸に行き、福島正則の甥・福島兵部少輔に書状を渡した。兵部少輔から正則に豊臣家からの書状が渡された。
「今度のことで福島家を頼ってこられたのだろうが、私は江戸にいるのでそれはできない。ことが起こるのが3年早いか3年遅かったらどうにかなったのだが。使者は早々に城に返した方がいい。秀吉公の御遺言にも万が一の時は城を枕に成り行きを見守るしかないとあった。家康は野戦が上手だが城攻めはそうでもない。それと大坂城は無双の要塞なのでそれを頼るといい」
 正則は申し出を拒否した使者を返している。(『推察記』)

福島正則の墓
広島市東区牛田新町3−4−9の不動院にある正則の墓

管理人・・・ご存知だとは思いますが、3年早ければ豊臣家恩顧の武将が存命だったし、3年遅ければ家康が死んでいるだろうからということです。

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