欠乏

 1614年12月、大坂城内は兵糧は沢山あったが、鉄砲の火薬が欠乏しつつあった。豊臣軍はそれまで大鉄砲を使っていたが、12月に入ってから小鉄砲(三匁・十匁など)を使って火薬を節約するようになった。(『当代記』)

管理人・・・木の鉄砲のことと言い、豊臣軍は限界だったようですね。

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