蛙合戦(その2)

 1614年の12月5日午後3〜5時頃、甲山の庄官らが住吉の徳川家康の本陣に来て不思議な話をした。
「今日、甲山辺りで蛙がたくさん集まり南北に分かれて合戦すること1時間、遂に北の蛙が戦いに負けて、たくさんが死んだり怪我をして退却した」
 家康は感想をもらした。
「蛙の合戦は昔より度々あるが珍しいことではない。子供の頃、故郷の三河岡崎でも見たことがある。ただ珍しいことが一つある。蛙というのは冬には地中にいて春に出てくるものだ。今は冬の終わりなので、たとえ土から掘り出されても手足を動かすことすら出来ないのに夏のように合戦することは誠に不思議だ」

 この蛙合戦を聞いた人々も口々に不思議がった。
「時期と方角を考えれば南の蛙が負けるが普通だ。その理由は北は水、南は火なので水は火に勝つからだ。だから北に利がある。時期も冬だし蛙は自由に水の中を移動するものだ。時節・方角・五行どれも北に利があって南には利がない。どうして南の蛙が勝つのか納得できない」
 この時、陰陽師・鵜川晴信と言う者がこれを聞き、傍らの人に「世間の人々はみんな利があると言うが、道理ではない。不利な条件と季節はずれの時期で戦って勝ったというのはこれは下の者が上に立つという意味だ。よく考えて見ると徳川は下、豊臣は上だが、最後は関東が上に立って天下を収めることが明らかだ」と占いの内容を話した。そしてその後、そのようになった。(『難波戦記』)

岡崎市
愛知県岡崎市

管理人・・・蛙合戦(その1)と元は同じですが微妙に違うので見比べてみてください。

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