蛙合戦(その1)

 1614年12月6日午後、摂津甲山の25メートル四方の草むらで大量の蛙が発生し共食い合戦を始めた。これを見た皆は「この寒い季節に奇怪なことだ」と不思議がった。
 次の日、南光坊天海徳川家康のもとを訪れると、雑談の中で昨日の蛙合戦の話が出て、天海はその時の状況を報告した。
「北側の蛙と南側の蛙が戦い、北側の蛙は多数が死傷しました。現在の戦いの陣所は北側が豊臣軍、南側は徳川軍ですから、豊臣軍が負けるということでしょう。これを知った我が軍の者は勇み立ちました」(『駿府記』)

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