家康、幸村を招く

 大坂冬の陣の最中(1614年12月11日との説有り)に徳川家康真田信尹真田幸村の使いにやって伝えた。
「徳川家の味方になったなら信濃の中で1万石を与える」
「その申し出はありがたく思います。しかし私は関ヶ原の戦いで敵になり、その罪で九度山に蟄居し山賊のようになっていたところを、豊臣秀頼様に招いていただき8千あまりの兵を率いる大将となりました。その恩があるので心変わりは難しいです」
 幸村は申し出を断った。
 信尹が幸村の気持ちを家康に伝えると、今度は「信濃一国を与えると伝えろ」と命じられ、その通りにした。これを聞いた幸村は激怒。
「忠戦に軽重はない。禄の多少の問題ではないのだ。一度秀頼公から扶持を受けた上は討ち死にと決めている。しかし、もし和議となったなら領地の望みはないので貴殿の口添えで徳川家に奉公しましょう。だが合戦のあるうちは大坂にいて討ち死にするので取次ぎは無用です」と言い切った。(『武家閑話・古実話・常山紀談・武辺噺聞書』)

真田幸村像
大阪市天王寺区玉造本町の三光神社にある真田幸村像

UPDATE 2005年6月6日
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