大坂の陣史跡巡りFinal(2日目)

 2006年7月16日、朝6時に起きると(とは言っても10時間も寝たが)、ホテルでモーニングを取り、ゆっくりと出発。今日も天気は良く絶好の史跡巡り日和である。ただ肌によくないので、日焼け止めクリームは塗ったけど。まずは近鉄奈良線に乗って若江岩田駅へ。写真を撮り直したかった飯島三郎右衛門の墓に行くためである。
 駅を降りて記憶のあったパチンコ屋の近くを歩いていると・・・あった。

飯島三郎右衛門の墓

飯島三郎右衛門の墓:数年前と何も変わっていなかった。周りもあまり変わっていなかったように思う。

 それからバスに揺られて近鉄八尾駅方面に向かう。そして若江南のバス停で降りると、木村重成の像を見に行く。もっと迷うかと思ったけど、あっさり行けた。まあ私は2度も行っているから当然と言えば当然だけど。

木村重成の像

木村重成の像:この周辺は本当に何も変わっていなかった。案内板くらいあってもいいと思う。結構な有名人なんだし。

 次はその近くの蓮城寺に行く。重成の位牌があるところだ。ずっと陣所跡だと思っていたが、違ったっけ・・・? どこにもその説明がないので。まあこの辺りに陣を構えたのは間違いないので、いいんだけど。

蓮城寺

蓮城寺:う〜ん、特に感想なし。

 それからまた歩いてすぐの山口重信の墓に向かう。その途中、若江南の信号で赤にもかかわらず、脇道で待っている2台の車が、さっと出て行った。ここ辺りの道じゃあこれが普通なんだろうな。なんとなく大阪を感じた瞬間だった。ちゃんと左右は確認していたけど。
 そして共同墓地にある重信のお墓に行くと・・・うおっ、補強されてて案内板が二つも建っている\(゚o゚;)/

山口重信の墓

山口重信の墓:木村重成の呪いでばっきりと折れたと言われる部分を補強する鉄骨(?)が設置されており、東大阪市と若江南墓地管理委員会の案内板が建てられていました。周りも草ぼうぼうだったのに、区画整理がされていました。上記の整備もその際になされたものだと思います。ここが今回の旅で一番変化のあったところでした。

 そして川向かいの木村重成の墓に向かう。ここも何度も来たなあ・・・。今回もおじさんが一人いるだけで、静かなところだった。

木村重成の墓

木村重成の墓:ここの前回との一番の違いは墓の前にある扉に鍵がかかっていなくて中に入れたことだった。もしかして前から入れたけど、私が行ったときはたまたま閉まっていただけかもしれないが。

 それから公園をうろついた後にバスに乗って近鉄八尾駅に行く。そこから徒歩でまずは八尾城跡に。ここは現在、八尾城跡だったことが否定されているらしいが、この辺りで八尾の戦いがあったのは間違いない。

八尾城跡

八尾城跡:八尾神社の中にあります。

 そこからすぐ近くの常光寺へ。ああ・・・相変わらず商店街の一角にあるのね。早速、門を撮影。

常光寺の門

常光寺の門:前々からこういう構図で撮りたかったのだが、カメラの画角(いままでのは広角で36ミリくらい)のせいでできなかった・・・。重くてもS9000(広角28ミリ)にして良かったと思った瞬間でした。

 カメラで思い出したけど、3年前と比べると撮影する腕がずいぶんまともになったと思う。前は考えがなかったというか変というか・・・。

常光寺(2003年)

常光寺(2003年)

常光寺(2006年)

常光寺(2006年)

 なぜにあんなに白飛びしているのによしとしたかさっぱり分からん・・・ーー; それはそうとして許可をいただいて、またまた藤堂家臣71士の墓にお参りしました。

藤堂家臣71士の墓

藤堂家臣71士の墓:ここにも案内板ができていました。前からあったかもしれませんが。

 そして血天井を拝見させていただいた後に、八尾天満宮と八尾御坊を廻って、長瀬川に着く。ここも当然ながら何も変わっていない。

長瀬川

長瀬川:ここも400年前は血で真っ赤に染まったんでしょうか・・・。

 続いて私が最初に大坂の陣関係の史跡に行った長宗我部盛親物見の松跡へ。久々だったので久宝寺小学校の周りをうろついた後、到着。

長宗我部盛親物見の松跡

長宗我部盛親物見の松跡:ここから私の大坂の陣関係の史跡巡りは始まったんだなあと感傷に浸る。

 ここから思いつきで久宝寺城跡に向かうことにする。八尾の戦いの時に関係があったとは思うけど、よう分からん。道もよう分からなくて聞きまくって、なんとか一人知っていた女性の方に場所を教えてもらった。

久宝寺城跡

久宝寺城跡:工場の裏手くらいにありました。これは分からんわ・・・。安井道頓が確かここの出身だったと思う。

 そしてそのまま徒歩で近鉄久宝寺駅に向かう。ここからさらに南下して今度は羽曳野市に向かう。道明寺の戦い関係の史跡に向かうためだ。
 途中、柏原で乗り換えだったので、ここの商店街のお好み焼き屋で食事をした。そこの女性亭主さんから「大阪暑いでしょ〜。ごみごみしてるから、日本で一番暑いもんね」と言われて、がんがん水を勧めてくれた。この日は本当に暑くて、やばかったので、そこで45分くらい休憩してゆっくり話をした。

 それから最寄り駅に・・・向かわずに、小松山と大和川を写すために次の柏原南口駅まで歩いて行った。

小松山周辺と大和川

小松山周辺と大和川:柏原南口駅の近くの土手から写したもの。

 そして柏原南口駅から古市駅まで行って、誉田八幡宮に行く。ほとんど誰もいない・・・。この辺りに薄田兼相(隼人)が陣をしいて徳川軍と戦って戦死している。

誉田八幡宮

誉田八幡宮:隣の公園で親子連れが遊んでいた以外は誰もおらず本当に静かでした。

 それからまたとぼとぼと歩いて薄田兼相の墓に向かう。近くまでは難なくたどり着けたものの、それから先が住宅街の中なので分からん・・・。聞き回ってやっとたどり着けた。5年前は今より下調べしていなかったのに一発でたどり着けたのが不思議。

薄田兼相の墓

薄田兼相の墓:畑の横にあったのは相変わらずでした。

 これにて今回の史跡巡りは終了。大阪駅まで戻って高速バスで名古屋に帰りました。

コラム:タイトル通り、大阪府内の大坂の陣巡りはこれが最後だと思います。ちょこちょこと取りこぼしを行ったり、別の件で大阪に来ることはあっても、大坂の陣関係ばかり廻るっていうのはもう当分ないでしょうね(ってそれは最後とは言わないか)。
 史跡巡りに行くようになるきっかけとなった盛親公の足跡を訪ねてから6年。よういろんなところ廻ったよ。我ながら仕事でもないのに、アホかと思うくらい(周りからもアホと言われたことがある)。碑があればまだ良くて碑もないところもたくさんあったしな。大阪じゃあないけど紀伊の北山村なんかも行ったもんなあ・・・。
 さようなら、大阪府。お元気で(^_^)/~~ 幸村以外の大坂の陣関係者も取りあげてあげてね。あと家康を嫌わないでね。


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