明石内記

(あかしないき)

生没年:?〜1638年/ 身分:豊臣軍の一員/ 官位(通称、号):内記

 名前は不明。明石全登の息子。大坂城が落城すると陸奥気仙郡高田村に逃げのび、その後、竹駒村の金山で掘子となってキリスト教の布教をする。その後、江刺郡伊手村の庄屋・菊池家に入り、十右衛門と名前を変えて鉄砲の製造などを行った。1638年に密告され捕らえられて江戸に送られる途中に宇都宮で死亡する。

管理人・・・内記は医療の知識も優れていて、その技術で住民に接したので尊敬されていたそうです。

参考文献:角川日本姓氏歴史人物大辞典3(岩手県姓氏歴史人物大辞典)

UPDATE 2004年6月24日
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