畠山入庵

(はたけやまにゅうあん)

生没年:1553〜1643年/ 身分:徳川家の食客/ 官位(通称、号):入庵

海津城(松代城)
入庵が城主だった長野県長野市松代町松代にある海津城(松代城)

【出奔】畠山義続の次男。名は上条政繁とも。上杉謙信の養子となって1571年に上条上杉家を相続。上杉景勝の妹を妻とした。その後、上杉家のために上野や越中で奮戦し、御館の乱でも景勝に味方する。1575年の『上杉家軍役帳』によると96人の軍役を負担した。
 1583年に織田家の森長可がいなくなった海津城を占領して城主となり信濃の諸将を統括する。1585年3月に海津城主の地位を須田満親と代わり政権の中心から離れていった。1586年7月、信濃の統治をめぐって景勝と対立し上方に出奔する。

【号する】その後、豊臣秀吉に仕え、1587年に500石を与えられた。1590年には300石を加増される。朝鮮出兵では肥前名護屋まで従軍し、翌年には700石を加増され合計1500石となった。関ヶ原の戦い後も豊臣家に仕えたが、1614年に豊臣家上層部と片桐且元が不和になり大坂城を出ると入庵も一緒に退去する。大坂の陣では徳川軍に従軍した。1643年に江戸で死亡する。

管理人・・・関ヶ原の戦い頃に徳川家康の食客となったという話もあります。もしかして豊臣家に仕えながら徳川家からも扶持をもらっていたのでしょうか。

参考文献:上杉景勝のすべて・戦国人名事典 コンパクト版・しぶとい戦国武将伝・大坂の役、ほか

UPDATE 2003年12月30日
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