米村一忠

(よねむらかずただ)

生没年:?〜1649年/ 身分:藤堂家の家臣/ 官位(通称、号):兵太夫

南禅寺の三門
一忠が奉行を務めた京都市左京区南禅寺福地町にある南禅寺の三門

 米村一長の長男。1611年に父から家督を譲られた。大坂冬の陣では足軽大将として、夏の陣では赤母衣衆として従軍して功があり200石を加増される。
 1623年に越前で松平忠直が騒動を起こした時に出陣した。その功で300石を加増され合計1千石となって鉄砲足軽に命じられる。1628年に京都の南禅寺の山門造営の奉行を務めた。1649年2月4日死亡。

参考文献:藤堂高虎家臣辞典

UPDATE 2002年10月19日
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