米村一長

(よねむらかずなが)

生没年:1556〜1629年/ 身分:藤堂家の家臣/ 官位(通称、号):勘左衛門

大阪城
一長が狭間の切り開きを指導した大阪城

 増田長盛の家臣だったが、増田家が関ヶ原の戦いで改易されたため、藤堂高虎の家臣となり700石を与えられた。
 1611年に隠居し息子の米村一忠に家督を譲る。大坂両陣に従軍した。1623年に大坂城の再建で狭間の切り開きを指導し、その功で100石の加増があった。1629年8月8日死亡。砲術の達人で米村流砲術の開祖となっている。

参考文献:藤堂高虎家臣辞典

UPDATE 2002年10月19日
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