梅原武政
(うめはらたけまさ)
生没年:1560〜1639年/ 身分:藤堂家の家臣/ 官位(通称、号):勝右衛門
天正伊賀の乱で落とされた伊賀市上野喰代字城谷にある百地丹波守城跡
梅原武藤の息子で藤堂高虎の叔父。岩夜叉の異名を取った勇将。信長の家臣・池田秀雄に仕え、天正伊賀の乱、朝鮮出兵などで活躍した。関ヶ原の戦いで池田家が西軍に付き改易されたため、高虎に招かれ1千石で家臣となる。
大坂冬の陣では鉄砲足軽20人を率いて功があり500石を加増された。翌年の夏の陣・八尾の戦いでは戦死した藤堂良勝隊を引き継ぎこれを指揮し、その活躍で更に500石が加増される。陣後、戦功の査定を任された。1639年11月17日死亡。
管理人・・・武功数知れないほどの人で先陣を切って活躍しています。大坂の陣の戦功査定を任されたくらいですから、公正な人だったんでしょう。
参考文献:藤堂高虎家臣辞典
UPDATE 2002年7月20日
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