岡本安貞

(おかもとやすさだ)

生没年:1583〜1652年/ 身分:藤堂家の家臣/ 官位(通称、号):弥一右衛門

 名前は安長・安次とも。三河に生まれる。1593年に熊谷直之に仕えたが、彼の主君・豊臣秀次が謀反などの罪で自害させられると、それに連座して直之も自害したため、有馬豊氏にに仕えた。関ヶ原の戦いに従軍する。1601年、有馬家を去り尾張の松平忠吉に仕えるが、忠吉が亡くなり跡継ぎがおらず松平家が改易になったため浪人となった。
 1609年、藤堂高虎に仕え、大坂両陣に従軍し功があり、200石を加増される。その後、一度藤堂家を去るが、1623年に帰参した。帰参後は順調に出世するが、1639年に再び藤堂家を去り京都に隠遁する。しかし1646年に藤堂家に呼び戻され、隠居料を給された。1652年2月10日死亡。

管理人・・・あちこち渡り歩いてますね。それだけの実力があったということなんでしょう。安貞は内海重次の弟子で奥義を受けています。

参考文献:藤堂高虎家臣辞典

UPDATE 2002年7月22日
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