戸田清堅

(とだきよたか)

生没年:1575〜1654年/ 身分:徳川宗家の家臣/ 官位(通称、号):三郎九郎・金左衛門

和歌山城岡口門
清堅に付けられた足軽が番をした和歌山城岡口門

 徳川家康の家臣・戸田清光の息子。三河に生まれる。父とは別家を立て上総・下総国内で千石を与えられた。関ヶ原の戦いに従軍し、その後に三河大津城を任される。
 大坂の陣では徳川頼宣に従い使番となった。陣後に頼宣付きとなり2200石を与えられる。1619年の紀伊移封にも従う。1630年に千石の加増と城代兼役を命じられた。1645年に隠居し1654年5月5日に死亡する。

管理人・・・清堅が城代兼役となった際に足軽50人を預けられますが、彼らは岡口門の番を務めています。あと子孫は維新まで家老などの重役を務めています。

参考文献:和歌山県史・三百藩家臣人名事典

UPDATE 2005年4月16日
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