長野清貞

(ながのきよさだ)

生没年:1563〜1639年/ 身分:徳川宗家の家臣/ 官位(通称、号):九左衛門

松阪城
清貞が代官を務めた三重県松阪市にある松阪城

 伊勢に生まれる。時期は不明だが徳川家康の家臣となる(ただし知行なし)。その5年後、無禄のままの清貞と会った家康は、5年前に500石を与えていたとすっかり勘違いをしていたので、5年分の知行を与え駿河国内で代官に任じた。
 大坂の陣では駿府の留守をし財政関係の仕事を行う。1616年に徳川頼宣に付けられ1619年の紀伊移封にも従った。その後、松阪の代官となる。1639年6月3日死亡。

管理人・・・伊勢の生まれで長野姓ってことは、伊勢の国人・長野工藤家の一族なんでしょう。5年分の知行をもらったってことは1回に2500石分をまとめてもらったという意味だと思います。

参考文献:和歌山県史

UPDATE 2005年4月21日
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