井上政重

(いのうえまさしげ)

生没年:1585〜1661年/ 身分:徳川家の家臣/ 官位(通称、号):清兵衛

水口城
家光の上洛で築城された滋賀県甲賀市水口町水口にある水口城

【書院番】大須賀家の家臣・井上清秀の四男として遠江国に生まれる。1608年に徳川秀忠に仕え書院番の番士となった。大坂夏の陣に従軍し功を上げる。
 1616年に徳川家光に付けられ1619年に500石を与えられた。1623年に500石を加増、1625年に目付の役職と1千石を与えられて、合計2千石の領主となる。1632年に大目付となり、2千石を加増された。

【活躍】1633年に近江水口に上使として赴き、翌年の家光の上洛のために周辺の街道沿いの宿場町を検視し、上洛そのものにも同行する。その後、朝鮮通信使への応対、島原の乱での上使としての役目、江戸城造営の奉行、などを務め、1640年に6千石を加増され、それまでの加増と合わせて下総高岡1万石の大名となった。
 それからもキリスト教禁制などで活躍し1661年2月27日に死亡した。法名・幽山日性玄高院。東京都文京区白山の浄心寺に葬られた。

参考文献三百藩藩主人名事典、ほか

UPDATE 2004年12月21日
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