彦坂光正

(ひこさかみつまさ)

生没年:1565〜1632年/ 身分:徳川宗家の家臣/ 官位(通称、号):八兵衛・九兵衛

日光東照宮
栃木県日光市の日光山にある日光東照宮

 本多康重の家臣・彦坂成光の息子。彦坂春光の兄弟。三河に生まれる。徳川家康の家臣となり三河国内で2118石と駿河町奉行の役職を与えられた。1612年に三河設楽郡内で2160石を与えられる。1614年に方広寺の鐘銘を起草した清韓文英を預けられた。
 1616年に徳川頼宣に付けられ3千石となり、安藤直次と共に家老を務める。1619年の紀伊移封にも従った。1632年2月29日死亡。法名・護光院実洞正宗。親しかった天海の計らいで日光山に葬られる。

管理人・・・光正の長男の重定は徳川秀忠の家臣となっていたため、跡を継がなかったそうです。

参考文献:和歌山県史・三百藩家臣人名事典

UPDATE 2005年4月25日
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