戸田尊次
(とだたかつぐ)
生没年:1562〜1615年/ 身分:三河田原1万石の大名/ 官位(通称、号):土佐守

愛知県田原市大久保町岩下8の長興寺にある尊次の墓(中央のもの)
戸田忠次の長男。忠次は一度は徳川家康に背いたが後に帰参し徳川家の関東移封の際に伊豆下田5千石を与えられた人物。尊次は父が亡くなった1597年に伊豆下田5千石を継ぐ。
関ヶ原の戦いでは越前丸岡城を落とし、その功で三河田原1万石に移封され、土佐守に任ぜられた。大坂冬の陣では岡崎城の守備につき、夏の陣では徳川頼宣の補佐として従軍する。1615年7月7日死亡。法名・透関院殿決山全勝大居士。愛知県田原市大久保の長興寺に葬られた。
管理人・・・1610年に徳川秀忠が4万数千の大軍を率いて、尊次の領地である田原に来て、蔵王山から伊良湖にかけて大規模な巻狩(狩場を四方から取り巻いて、獣を中に追いつめて捕らえること)を行ったそうです。それだけの軍隊が領地に来たので大変だったのではないでしょうか、、、。
UPDATE 2005年12月4日
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