角井又右衛門

(つのいまたえもん)

生没年:不詳/ 身分:大工/ 官位(通称、号):又右衛門

法隆寺
奈良県斑鳩町法隆寺山内にある法隆寺

 大和法隆寺村の大工。大坂城の造営で棟梁を務めた。大坂冬の陣の際に徳川家康に城の構造について話したため、中井正清と共に豊臣家からの恨みを買う。そのため大坂夏の陣の緒戦で豊臣軍に又右衛門の住んでいる法隆寺村を焼かれ、家族と一緒に吉野山に逃げた。その後、大坂城攻めで櫓を建て石火矢を放つ。その功で角井の姓を許された。
 1619年の徳川頼宣の紀伊移封の際に和歌山に移り藩の大工棟梁となる。1620年に大工運上銀取り扱いの任を命じられた。

管理人・・・その後、四国の伊予西条藩の陣屋造営などで活躍しています。ちなみに上記を読んで頂いて分かる通り、大坂の陣時点では『○○又右衛門』かただの又右衛門だったようですが、便宜上『角井又右衛門』としています。

参考文献:和歌山県史

UPDATE 2005年4月13日
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