(でん)

生没年:1604(?)〜1635年/ 身分:真田幸村の娘/ 官位(通称、号):なし

二条城
田が奥女中をしていた京都市中京区二条堀川西二条城541にある二条城

 真田幸村の四女。母は豊臣秀次の娘と言われているが詳しいことは不明。関ヶ原の戦い前後に生まれたと言われている。大坂落城寸前に母と共に城を逃れるが、京都に潜んでいたところを捕えられる。しかし伯父・真田信之の嘆願で許されて江戸城の大奥で奉公をした。
 3年後、京都に行き縁者のところで暮らし二条城の奥女中をする。そこで上洛してきた出羽亀田の大名・岩城宣隆と出会い1626年に結婚する。そして三人の子供をもうけた。32歳で没したと言われている。法名・顕性院殿妙光日信大姉。墓は東京都台東区の善慶寺と秋田県岩城町の妙慶寺にある。

管理人・・・田は良妻賢母の鏡とされて長男の重隆を自分の手で育ておむつの取替えなども自分でし、重隆が6歳で江戸に登った時は同行して読み書きや礼儀作法そして武芸まで教えて老中たちを驚かせたそうです。そのおかげか重隆は名君として知られています。また田は熱心な日蓮宗徒で領地に妙慶寺を開創などをしたそうです。

参考文献:秋田人名大事典・日本女性人名辞典・奮迅真田幸村―戦国でもっとも強い漢

UPDATE 2005年6月4日
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