上田定正

(うえださだまさ)

生没年:1599〜?/ 身分:豊臣軍の一員/ 官位(通称、号):?

真田幸村の像
大阪市天王寺区玉造本町の三光神社にある真田幸村の像

 上田正信の息子。大坂冬の陣が起こると大坂に入城し、夏の陣前に真田幸村の命で父や家臣数人とともに九州に下って肥後で兵を募集したが、やがて大坂城が落ちてしまう。
 帰るところが無くなった定正は父とともに天草西岸の高濱村に隠遁した。1665年に天草の代官・鈴木重辰の命で高濱村の庄屋となる。その後、上田家は代々庄屋を勤めたという。

管理人・・・5代後(上田家6代当主)の伝五右衛門は鷹巣山で陶器業を起こして、それが高濱(高浜)焼の元祖となったそうです。今でも熊本県天草郡天草町では名物になっているそうです。

参考文献:肥後人名辞書

UPDATE 2005年6月12日
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