上田正信

(うえだまさのぶ)

生没年:1575〜1647年/ 身分:豊臣軍の一員/ 官位(通称、号):助右衛門

真田幸村像
上田市の上田駅前に建つ真田幸村像

 先祖は清和天皇と言われている。大坂の陣が起こると大坂に入城した。夏の陣前に真田幸村の命で息子の定正や家臣数人とともに九州に下って肥後で兵を募集したが、やがて大坂城が落ちてしまう。
 帰るところが無くなった正信は天草西岸の高濱村に隠遁した。その後、炭を焼いて生計を立てる。大坂浪人だと気づかれないまま1647年11月20日死亡。高濱村(熊本県天草郡天草町高浜)に葬られた。

管理人・・・かなりうさんくさい話しのような気がしますが、、、。夏の陣が起こるかどうかって時にわざわざ九州まで行って兵を募集するでしょうか? 困ったら取り合えず九州人に頼る、っていうのは日本史の常識ではありますが、、、。

参考文献:肥後人名辞書

UPDATE 2005年6月10日
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