小笠原権之丞

(おがさわらごんのじょう)

生没年:1589〜1615年/ 身分:豊臣軍の部将/ 官位(通称、号):権之丞

徳川家康の像
父との噂がある徳川家康の像(駿府城のもの)

 名前は不明。小笠原広朝の子。しかし京都の三条某の娘と徳川家康の間に生まれたという説もある。
 家康に仕えていたが、1612年3月にキリスト教徒だったということで改易された。後に大坂に入城し親しかった明石全登の隊に属して戦い、天王寺・岡山での最終決戦で天満橋付近で戦死したと伝えられている。

管理人・・・おそらくキリスト教を認めてもらうために大坂に入城したんでしょう。本当に家康の息子だとしたら、家臣のままだったら大国の大名になったかもしれません。
 天王寺・岡山での最終決戦の際に、徳川軍で権之丞を知っている者達が彼を見て「こちらに寝返ったらどうだ」と諌めたが、権之丞は「私は徳川家康の子という噂がある。その私が冬の陣から籠城しているのに何の手柄もなく寝返れば、元々裏切るつもりで籠城し逃げ出したと批判される。私にその気持ちはまったくなく秀頼公に忠節を誓っているからここで討死する」と言い、松平忠直軍の手にかかり討死したという話が『御降誕考』に載っています。

参考文献戦国人名事典 コンパクト版大日本史料(第十二編15〜20)、ほか

UPDATE 2002年8月20日
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