女鹿信宗

(めがのぶむね)

生没年:不詳/ 身分:南部家の家臣/ 官位(通称、号):丹後守

信八幡原史跡公園
信宗の生まれた信濃川中島にある八幡原史跡公園(長野県長野市小島田町)

 武田家の家臣・信貞の子。信濃川中島で出生し、佐久明神の前で元服したので佐三郎と称した。その後、父の跡を継いで1500石を領したが、1582年に武田家が滅亡したため浪人となる。一時期、関東の小笠原家を頼ったが、1588年に南部信直に仕え女鹿300石を与えられ、その際に女鹿姓に改めた。
 1593年に九戸政実の残党・丹蔵を主命で討ち取り、彼の持っていた備前守(九戸家の家宝の刀)を賜る。1600年に伊達政宗の策略で領内の和賀・稗貫地方で一揆が起こった際に戦功があり加増された。大坂冬の陣でも左備の組頭として活躍する。没年は分からないが女鹿村に葬られた。

管理人・・・武田家の家臣だった頃の名字が分かりません。父の名前の信貞と言えば、葛山信貞・小幡信貞などがいますが、関係ないでしょう。信宗の家は南部家の儀式に関係しており代々それを引き継いでいたそうです。

参考文献三百藩家臣人名事典

UPDATE 2002年9月10日
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