岩本将監

(いわもとしょうげん)

生没年:?〜1642年/ 身分:越後松平家の家臣/ 官位(通称、号):将監

信濃高島城南の丸跡
忠輝が信濃高島に流された際に住んだ信濃高島城南の丸跡

 名前は不明。信濃諏訪郡の人と言われている。松平忠輝に仕え大坂夏の陣に従軍し、大和口で進軍しない忠輝に対して諌めたが相手にされなかった。その後、忠輝が流されると、他の四十人余りの家臣と信濃高島にまで従う。そこで将監は兄の家で暮らし孤松と号し絵などを描いて過ごした。1642年7月17日死亡。

管理人・・・将監の描いた絵にはこんな話があります。京の人が将監の絵を持っていましたが、なぜか鶯(ウグイス)の足に針を刺していました。その理由をある人が聞くと「この鶯は真に迫っているので時々外に飛び出して足に泥をつけて帰ってくる。そのため飛べないよう針を刺しているのだ」と答えたそうです。それからその絵は泥鶯と言われるようになったそうです。その話は大げさにしてもそれだけ見事な絵だったってことなんでしょう。

参考文献:信濃人物志

UPDATE 2005年12月16日
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