津田重次

(つだしげつぐ)

生没年:?〜1651年/ 身分:前田家の家臣/ 官位(通称、号):?

高山右近の像
大阪市中央区玉造2−24−22のカトリック玉造教会にある高山右近の像

 津田重久の次男。1597年から前田利長に仕え、1610年に父が隠居すると6千石の領土を継いだ。大坂冬の陣では弟・重以と共に従軍し、真田丸の攻防では果敢に真田丸を攻め、夏の陣でも大野治房御宿政友軍を破る大活躍をする。
 その戦功で1万石の領土を賜り家老となったが、1641年に金沢城下に『重次は高山右近が流罪になった時に改宗したが、内心は今でもキリシタンだ』という立て札が立ったため、江戸に送られ、そのまま江戸で空しい日々を過ごした。1652年4月4日死亡。

管理人・・・立て札を立てた人間は重次の裁決で磔になった者の一族の仕業だったという噂がありました。

参考文献三百藩家臣人名事典

UPDATE 2002年4月27日
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