富田正俊

(とみたまさとし)

生没年:?〜1664年/ 身分:前田家の家臣/ 官位(通称、号):弥五作

前田利長墓所
高野山奥の院にある前田利長墓所

 父・詮正は佐久間盛政に仕えていたが、主家が滅亡したため浪人していたところを1586年に前田利長に召抱えられた。
 正俊は1605年から前田家に仕え、1614年の大坂冬の陣で戦功を立て、500石を加増される。1639年に利常の次男・利次が富山を分藩されるとその家臣となった。1649年に渡辺助右衛門の不正が発覚し正俊に討ち取りの命令が下ると、すぐに助右衛門の宿に向かい成敗している。その手際の見事さで200石を加増され、父の遺領と合わせ1200石の領主となった。1664年死亡。

管理人・・・討ち取りの見事さっていうのは、普通は鎧を着て準備をしてから行くところを、敵のところに行き成敗したことです。

参考文献三百藩家臣人名事典

UPDATE 2002年3月29日
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