富田重政

(とだしげまさ)

生没年:1554〜1664年/ 身分:前田家の家臣/ 官位(通称、号):越後守

小田原城の土塁
後北条氏時代の小田原城の土塁

 山崎景邦の子。景邦は朝倉家の家臣で中条流剣術の達人・富田景家(勢源)の弟子だった。その景家の弟・景政は前田利家に仕えていたが、嫡子・景勝を賤ケ岳の戦いで失ったため、重政を婿養子に迎える。
 重政はその後、末森城の戦い・小田原征伐などで活躍し、1600年の関ヶ原の戦いでは、丹羽長重との戦いで功があった。1613年に隠居したが、翌年の大坂冬の陣には部隊長として出陣。夏の陣では首級を19も挙げる活躍をしている。1625年4月19日死亡。菩提寺は金沢市東山2丁目10-10にある慈雲寺。

管理人・・・重政の剣術の腕は「名人越後」と称されたほどのものだったそうです。
 重政の後を継いだ重家にはこんな話があります。ある時、前田利常が「富田家にも無刀取りがあると聞いたのでこれを取ってみよ」と真剣を抜いた。そこで重家は「無刀取りの術は秘密なので、後ろの戸から覗いている人間を下げてください」と申し出た。そこで利常が後ろを振り返ると、重家はさっと近寄りこぶしを押さえ「これが富田家の無刀取りです」と言った。

参考文献三百藩家臣人名事典

UPDATE 2002年4月22日
Copyright (C) 2002 Tikugonokami.