篠原長次

(しのはらながつぐ)

生没年:1585年頃〜1649年/ 身分:前田家の家臣/ 官位(通称、号):織部

篠原家の墓
金沢市野田町野田山の野田山墓地にある篠原家の墓

 芳春院の従兄弟・篠原長重の2番目の養子。篠原一孝の義弟にあたる。9歳から前田利家に仕えた。1615年の大坂夏の陣では真田幸村の家臣・進藤某の首を取ったが、そのことで野村重政と揉め事を起こしている。
 1616年に兄・一孝が亡くなると、その領土の一部を貰い受け3千石を得た。1632年の利家33回忌の奉行に命じられたが、その際に同僚と揉め3ヶ月間、配流される。復帰後も順調に出世し最終的には6千石を賜った。1649年死亡。

管理人・・・何度も揉め事を起こしています。強情な人だったんでしょう。配流中に徳川頼宣から誘いがありましたが、これを断っています。

参考文献三百藩家臣人名事典

UPDATE 2002年4月21日
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