今枝重直

(いまえだしげなお)

生没年:1553〜1627年/ 身分:前田家の家臣/ 官位(通称、号):内記

明智光秀墓所
高野山奥の院にある明智光秀墓所

 稲葉通朝・織田信雄・豊臣秀吉・豊臣秀次に仕え、秀次が自害した1595年からは、前田利長に招かれ、越中に行き3千石を領した。1614年に利長が亡くなると、次の藩主・前田利常にも引き続き仕え、大坂両陣にも従軍する。1619年に隠居し宗二と号した。1627年死亡。

管理人・・・重直にはこんな話が残っています。ある日、重直が長良川で鮎を捕っていると、一人の男が近づいてきて「一匹ください」と言ってきたので、鮎を投げ与えました。
 それから8年くらいたった後、重直が安土城で諸将に挨拶をしていた際、40歳くらいの男が「久し振りです。前に鮎をくれてありがとう」と声をかけてきました。それが明智光秀でした。のちに重直はこれを周囲の人に語り「侍の立身はつくづく分からないものだ」と感想をもらしたそうです。

参考文献三百藩家臣人名事典

UPDATE 2002年4月5日
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