庵原朝昌

(いはらあさまさ)

生没年:1556〜1640年/ 身分:井伊家の家臣/ 官位(通称、号):助右衛門

西郡
若江の戦い激戦の地、西郡

【流転の日々】庵原家は駿河庵原郡の出身で今川家に仕えていた。朝昌の代に武田家に仕えるが滅亡したため、戸田勝隆に仕えた。しかし津田信成の仲介で井伊直政の家臣となり1500石を与えられる。一度井伊家から出るが徳川家康の四男・松平忠吉の仲介で井伊家に戻り2000石を与えられた。

【他人に功を譲る】大坂冬の陣に従軍する。大坂夏の陣にも従軍し、冬の陣の真田丸の攻防で負傷した木俣守安に代わって指揮を執った。若江の戦いでは豊臣軍の大将・木村重成と戦って討ち取るが安藤重勝に「私には全軍の指揮がある。この功はお前に任す」と首を譲っている。陣後に戦功により合計4000石の領主となる。1640年9月2日死亡。

管理人・・・木村重成の首を取らなかったのは、それを取って出世しなくても安泰な身分だったからだと言う話があります。

参考文献三百藩家臣人名事典、ほか

UPDATE 2004年9月25日
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