細川頼範

(ほそかわよりのり)

生没年:1561〜1628年/ 身分:豊臣家の家臣/ 官位(通称、号):讃岐守

龍安寺の庭
京都市右京区の龍安寺にある庭

 細川昭元の長男。母は織田信長の妹。細川家は室町幕府の管領で将軍を凌ぐ権力をもっていたが、三好家などに次第に権力を奪われ没落していった。頼範は大坂夏の陣で大坂城に篭り、陣後、京都の竜安寺に蟄居する。その後、大和高島に移された。1628年死亡。

管理人・・・数代前の先祖は応仁の乱で総大将だったが、戦国の混乱で落ちていって父・昭元は信長の蹴鞠の相手。本人は秀吉の御伽衆。応仁の乱での相手の山名家も数千石の領主。戦国時代の厳しさを感じますね。

参考文献戦国人名事典 コンパクト版戦国武心伝

UPDATE 2005年8月22日
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