堀利重

(ほりとししげ)

生没年:1581〜1638年/ 身分:奥平家に預かり/ 官位(通称、号):伊勢守

上田城
利重が攻めた長野県上田市二の丸にある上田城

【Q太郎の弟】堀秀重の三男。堀秀政の弟。1599年に堀家から徳川家への人質として江戸に行き、徳川秀忠に仕えた。関ヶ原の戦いでは秀忠に従軍し真田昌幸の篭る上田城を攻める。その後、8千石を与えられたが、1614年の大久保忠隣の改易に連座して奥平家昌預かりの身となった。

【復活】大坂夏の陣では密かに松平忠明軍に加わり戦功がある。1622年に罪を許され常陸新治郡内に1万石を与えられ玉取に陣屋を構えた。それと共に幼少の下野宇都宮城主・奥平忠雅の補佐を命じられる。1628年に大番頭となった。
 1633年に近江・安房・上総で4千石を加増される。1638年に出雲松江の京極家が改易されたため城の受け取りに向かい、その帰路の4月24日、大坂で死亡した。法名・桂峯貞山立芳院。和歌山県高野町の高野山三宝院に葬られる。

管理人・・・利重が大久保忠隣の罪に連座した理由が、よく分かりません。

参考文献三百藩藩主人名事典

UPDATE 2004年10月30日
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