堀直重
(ほりなおしげ)
生没年:1585〜1617年/ 身分:信濃高井郡内・下総矢作で8千石の領主/ 官位(通称、号):淡路守

直重が生まれた北之庄にある北之庄城跡(福井県福井市中央1丁目)
堀直政の四男。堀直寄の弟。母は堀兵庫の娘。越前北之庄に生まれる。関ヶ原の戦いで堀家の人質として江戸に送られた。そして徳川秀忠に従い、会津征伐、第二次上田城攻防戦に参加する。1601年にその功で下総矢作に2千石を与えられた。1610年に信濃高井郡内に6千石を加増される。
大坂冬の陣では秀忠に従い出陣した。夏の陣では土井利勝に属して出陣し、天王寺・岡山での最終決戦で活躍した。その功で4500石を加増される。1617年6月13日、下総香取で死亡した。法名・自光院殿前淡州太守籌山宗勝大居士。千葉県千葉県香取市神生280の新福寺に葬られる。
管理人・・・直重は天王寺・岡山での最終決戦で蜂須賀家政軍が毛利勝永に旗印を奪われたため、徳川軍が攻勢に転じた際に城壁まで追撃し奪い返しています。それを記念して蜂須賀家の家紋を自家の家紋にしたそうです。
UPDATE 2010年10月7日
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